古神道と国家神道


自然と人と社会の調和を図る古神道の教え、日本伝統の『和』の心が世界を救う

 子どもの頃、神社で遊んでいた時、ここから先は神様の居場所だから入ってはいけない。入ったら「罰が当たる」と大人から注意された。もちろん罰がどんなものかはわからない。そんな得体の知れない『罰』をとりわけ意識した記憶もないが、漠然とその存在を信じていた。今にして思えば、それは疑念を抱くことが無意味な決まりごとだったように思える。

 神様という人間の手の届かない超越的な存在を意識することで人は謙虚になり、倫理に反する行動をとると「罰が当たる」という怖れから抑制が効く。神道の根っこにあるそんな宗教観が、いたずらっ子への注意も含め、地域の日常に無意識のうちに溶け込んでいたのだろう。

 神道の起源をたどれば縄文時代を起点に弥生時代から古墳時代に形成されたといわれる。山や川、太陽や木、岩や石、万物には神が宿るというのが神道の基礎となる考え方だが、その中身は宗教というよりも日本の風土と生活習慣に基づいた神概念として始まった。自然界のあらゆるものを八百万(やおよろず)の神とし信仰や畏怖の対象とした。自然と神を一体的に認識することが、社会の調和を図ることにつながる。人間の力ではコントロールできない神である自然に逆らえば「罰が当たる」。だからこそ自然を敬い、畏怖をもって接することが大切なのだと。

 健全な地域社会を築くためには一定のルールが必要だ。古来より日本では神社がそのルールの中心となって自然と社会と人間をひとつの共同体へと導く役割を果たしていた。 具体的には神事である祭りを通して人々はハライ・ミソギで心身の穢れを浄め、自然への畏敬の念を想起する。定期的に開催する祭りを大切な伝統とすることで、社会の調和と平安を末永く築こうとした。

 

 ところが日本の歴史とともに歩んできた神道が、明治時代に大きく変化する。『国家神道』の誕生である。江戸末期の黒船来航以来、日本は欧米列強に植民地化支配されないために近代化を進める必要があった。欧米諸国はキリスト教の伝道を使命として植民地化拡大を正当化する。日本としては欧米の制度や文明を輸入しても、その精神的バックボーンであるキリスト教だけは取り入れるわけにはいかない。そこで明治政府は、日本民族の統一という求心的かつ政治イデオロギー的な使命から、天皇家ゆかりの伊勢神宮を頂点とする宗教的思想体系を持つ権力構造を構築することで、中央集権型の国家へのシフトチェンジを目指した。かつてのアニムズム的な八百万の神へ信仰である『神社神道』から、天皇を神々の頂点とする新しい神道の政治的体系、それが『国家神道』である。

 明治政府の政策で生まれた国家神道は、いわゆる地域土着の信仰から生まれた神道とは根本的に異なる。天皇を現人神(あらひとがみ)として絶対化し古事記・日本書紀を唯一の神典として明治維新から昭和20年の敗戦までの80年間、国民全体を支配した。

 政治的思惑を孕んだ国家神道には「罰が当たる」という感覚がない。人間である国家体制の指導者は無謬だとし、人間の手が届かない超越的な存在という概念を単に「人心を支配する道具」として利用する。「罰が当たる」という怖れがないので抑制がきかない。日本を戦争へ暴走させた原因も国家神道を抜きにしては考えられない。

 

 天皇を絶対視した国家神道に対し、古神道には教典も教義も教祖も存在しない。キリスト教やイスラム教と比較すると曖昧といえる。それは崇拝対象が一神教ではなく、多神教であること。さらに多神教といっても八百万の神という数えることすらはばかられる自然自体が神様ということは、一神教における宗教概念とは異なり、もはや宗教というよりも慣習に近い信仰の形だと思って差し支えないだろう。その点、国家神道は一神教の概念に近く、古神道とは別物として捉えなければならない。

  島国という日本の地理的条件で世界や支配という概念が不明確な時代に誕生した古神道は、自然を支配するのではなく、自然とともに生きるという先人たちの教えが秘められている。世の中の森羅万象は均衡の上に成立するという前提のもと、太陽、大地、海、風、生き物や緑の草木すべてに宿る八百万の神々が、均衡を崩さぬ範囲で正しく動くことが何よりも大切なこと。自然と神を一体的に認識することで世界の調和を図る。それは宗教というよりも人間が健やかに生きるための知恵のように思える。

  先の戦争で日本は310万人の死者を出し、多くの都市は破壊され、国民は衣食住の苦難を受けた。敗戦に伴う軍部政権の崩壊は、日本人の心を縛っていた国家神道というイデオロギーから国民を解放した。皇室以外の身分制度はなくなり、天皇も権力から分離され、差別撤廃、男女平等、福祉充実など、自由と平等の精神を重んじる政策が推進された。そして民主主義、自由経済のもと日本は目まぐるしいスピードで戦後復興を遂げる。経済的・物質的繁栄を追い求めた結果、戦時中の困窮は遥か昔の出来事のごとく国民生活は豊かになった。

 しかしそんな豊かさと引き替えに、それまで日本人の心を一つに結集していたアイデンティティは失われた。そして精神的な空白状態が今現在に至るまで続いている。凄惨な戦争へと駆り立てた国家神道の衰退はともかく、古からの神道に関してもその存在意義は時代を経るごとに薄まりつつある。

 

 民主主義の大原則である自由とは権力からの自由であり、平等とは各々の人権の平等を意味する。しかし現代は超資本主義のもとで社会の協調性を無視し、個の欲望を満足させるためだけの、はき違えた自由が世の中を席巻し格差社会を生んでいる。報われない努力は社会システム上の常識となりつつある。今後も一極集中する利権の流れの中で、不平等な人権に社会の歪みは増大する一方だろう。

 限られた人生で、人は社会という集団の中でどう生きていくべきか。異なる環境で生まれ育まれた様々な価値観が渦巻く中、グローバル化が猛スピードで進行している。マイノリティーは排除され、社会はより画一的な方向へ変貌しようとしている。画一的であることが調和ではない。違いを認め合ってこそ、各々の尊厳が守られる。そして引いては世界の調和につながる。

 

 未来を憂うことしかできない現代に必要なことは、今一度、自然と社会と人間が一体となって共生を目指すことではないだろうか。そのヒントが古神道の考え方に隠されている。日本伝統の『和』の教えは日本のみならず世界のあらゆる問題を解決へと導くキーワードに成りうる可能性を秘めている。

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